イスラエル軍に在籍するアラブ人イスラム教徒の話です。
一般に敵だとされているような立場の人からの証言は、貴重だと思います。
動画の下に、全訳を記載していますが、動画は、日本語の字幕でご覧になれます。
YouTubeの字幕を設定して、ぜひご覧ください。
【全文】
私はアラブ人です。イスラム教徒です。
また私は自分の国を愛しています。
実際国のために死ぬ覚悟があります。だから私は軍務に就いています。
その必要があるわけではありません。そうしたいのです。
なぜなら私の国は他に類を見ない特別な場所だからです。
自由。多様性。活気。
ところが他国――それほど自由でも多様でもない国――が私の国を完全に破壊しろと訴えています。
私の国は気を緩めると破壊されるでしょう。
私の国はイスラエルです。
私は親族が属するアラブのベドウィンの部族の名を持つ小さな村で育ち、今も暮らしています。
この土地に根深いルーツを持っています。
1948年、アラブ軍がイスラエルの新しい国に侵攻した時、私の家族は村を出ようと考えました。
村を出た者もいました。
しかしユダヤ人指導者はそれを聞くと、私たちに留まるよう懇願したのです。
彼らは言いました。「ここは私たちの国だ。アラブ人にとってもユダヤ人にとっても」「留まって共にその国を建設しよう」と。
私の家族は留まりました。私の親はここで生まれ、ここで生活し、ここ――イスラエルで家族が生まれました。
2002年、私は10代でした。
暴力の時代でした。
パレスチナ人による自爆テロでイスラエル市民が犠牲になりました。
それはアラブ人にとってもユダヤ人にとっても同様の危機でした。
イスラエル軍はそのもとであるヨルダン川西岸で彼らを食い止めるために入りました。
結果として多くのパレスチナ人が殺されました。
私は苦しみました。自分はどちら側なのかと思いました。
イスラエル側なのかパレスチナ側なのか?
アラブ人でありながらイスラエル人であることはできるのか?
自分の村の男たちがイスラエル軍の制服を着ているのを見た時、その疑問はさらに難しくなりました。
軍務に就く事を要求されるのはユダヤ人だけです。
このアラブ人たちは誰かに強制されて入隊したのではなく、自分で選択しました。
「なぜ?」と私は彼らに尋ねました。
彼らは言いました。
「自分たちの故郷はこのイスラエルだ」「故郷が攻撃されている。この故郷の隣人はユダヤ人だ。彼らが攻撃されている。一緒に戦うんだ」
それでも私には葛藤がありました。
私はナザレの高校に行きました。
そこでは自分が育った村とは違い、アラブ人の生徒はほとんどが、イスラエル市民であるにもかかわらずパレスチナ人と認識されていました。
生徒――私の友達――の中にはイスラエルを憎む者もいました。
彼らは私の事を理解できませんでした。
彼らは言いました「お前はパレスチナ人だ」「だからイスラエルを憎むべきだ」
私が否定し、ここには中東のどこのアラブ人よりもはるかに自由と機会があると言うと、彼らは私を裏切り者と呼びました。
高校卒業後、イスラエルの一流大学であるテクニオン(イスラエル工科大学)に電気工学を学ぶために行きました。
最初の学期中にガザから大量のロケット弾が発射されたため、イスラエルは反撃を強いられました。
戦争が始まって間もなく、アラブ系イスラエル人の学生グループが、ガザを支配しイスラエルの破壊に傾倒するパレスチナのテロ組織、ハマスへの連帯を表明するのを目撃しました。
この学生たちはロケット弾が易々と自分たちに向けられる可能性があるという事を理解できなかったのでしょうか?
ハマスはイスラエル国境内に着弾する限り、誰が死んでも気にしませんでした。
イスラエルが数年前にガザを放棄した事を、アラブ人の学生たちは忘れてしまっていたのでしょうか?
そこにはイスラエル人が1人も住んでいない事を。
その日私は大学を中退しイスラエル国防軍に入りました。
数カ月後にはイスラエル空軍の兵士になりました。
何カ月かの訓練の後、私はヘリコプター捜索救助隊に配属されました。
私たちの職務は人命救助です。
助けを必要とする人の素性を気にすることはありません。
私たちは内戦で負傷したシリア市民、緊急の手当てを要するガザの子供、またあらゆる宗教、民族背景を持つ数多くのイスラエル人を救助しました。
イスラム教徒でもユダヤ教徒でも、パレスチナ人でもイスラエル人でも、命に変わりはありません。
6,000人の兵士の中でベドウィンは私だけでした。
しかしそれは問題ではありませんでした。
重要な事は故郷であるイスラエルを安全に守るという事でした。
国のあらゆる地域と世界のあらゆる場所から来ています。
あらゆる肌の色の人がいます。
共通の目標が強い絆を生みました。
現在私はハイファ大学の学生です。
学生の半分はアラブ人です。
キャンパスでの集会やデモでパレスチナの旗が振られているのを何度か見ました。
これができるのは、イスラエルではユダヤ人であってもアラブ人であっても自由だからです。
それだけ分かっていれば良いのではないでしょうか?
プレガー・ユニバーシティ、モハマド・カビヤでした。
Post by HT 2018/07/30 16:17